アートと地域振興 Part1

守屋慎一郎
  • ビルバオ・グッゲンハイム美術館
  • 横浜市・象の鼻テラス

私は2018年~2020年まで、横浜商科大学で「アートによる地域振興」という授業を担当していました。また講演等の依頼をいただくときにも「アートは地域振興にどのように機能しうるのか」がお題になっていることが多く、取材等でもよくこの質問を受けます。今回のジャーナルではこれを受け、「アートと地域振興」について、思うところを書いてみます。

 

残されているのはアートだけだ

アートが地域振興に機能する。その視点が大きな注目を集めたのは「創造都市」という考え方が広く一般に知られるようになってからでしょう。創造都市=Creative Cityについて最初に体系的にまとめられた本は、1997年に書かれたチャールズ・ランドリーの『創造的都市』だと思います。グッゲンハイム美術館を誘致したビルバオ(スペイン)をはじめ、衰退する工業都市を中心に起きていたアート、クリエイティブ産業による地域振興政策について事例等をまとめた本書は日本でも大きな反響を呼び(日本語版の発行は2000年)、続くリチャード・フロリダの『クリエイティブ産業論』『クリエイティブ都市論』により、創造都市の理論的バックボーンが形成されました。同時期にイギリスのトニー・ブレア元首相が推進した「クールブリタニア」政策は、クリエイティブ産業を成長分野と位置付け、産業、観光等の振興を図るという意味で、まさにこうした創造都市戦略を国の政策として取り入れた事例だと思います。チャールズ・ランドリーはなぜ創造都市という考え方が脚光を浴びたのかについて「ヨーロッパでは地域再生のために考えられるあらゆる手段を尽くしたが、すべてダメだった。もうアートしか残っていない」という言葉を残しています。長期衰退傾向に苦しんでいた欧州の工業都市にとって、まさに創造都市は「最後に残されていた」アイデアであり、起死回生の都市再生戦略だっと言えるでしょう。

 

日本における創造都市の受容

日本で創造都市を本格的に導入した先進事例としては、いつも金沢市と横浜市が上がられます。金沢市では2004年に金沢21世紀美術館を開館させ、中心市街地に広域集客が可能な美術館をつくるという、新たな都市戦略を具現化したほか、横浜市は2001年に「ヨコハマ・トリエンナーレ」を開始、2004年には「横浜市『文化芸術創造都市ークリエイティブシティ・ヨコハマ』の形成に向けて」という政策をとりまとめ、これに基づき、BankARTや急な坂スタジオ、そしてスパイラルで運営している象の鼻テラスなど、創造界隈拠点の形成に取り組んできました。またこれらの事例とともに決定的な影響を与えたのが2000年にスタートした「大地の芸術祭(妻有トリエンナーレ)」ではないかと思われます。新潟の山間地域でスタートしたこの芸術祭に若い観光客が殺到する風景は、当時の地域行政に関わる多くの人に圧倒的なインパクトを残しました。アートが地域振興、特に観光振興に大いに効果を発揮することは誰の目にも明らかでした。いったん成功事例ができるとさまざまな地域がこれを真似し始めるのは良くも悪くも日本の特色、観光集客を主目的としたアートフェスティバルは瞬く間に全国に拡大し、瀬戸内国際芸術祭のような大規模プロジェクトからローカルベースで展開される小規模なフェスティバルまで、いまや数えきれないぐらいのアートフェスティバルが毎年開催される状況となっています。

 

日本型創造都市の類型

日本における創造都市にはいくつかの類型があると思います。ひとつは金沢市のように、もともとものづくりの伝統がある地域において展開される「産業振興型」と呼べるモデルです。福井県の鯖江市、岐阜県の関市などもその典型といえるでしょう。大量生産、薄利多売型の産業モデルが限界を迎えるなか、デザイン力を強化することで付加価値の高い商品生産を実現し、産業を再生する。こうしたものづくり産業と創造都市をハイブリッドするモデルは、日本の特色を生かした創造都市の展開と言えると思います。

二つ目は「観光振興型」と呼べるもので、前段でも述べたとおり、「妻有トリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」などを筆頭に、いまや全国各地で数多のアートフェスティバルが開催されています。私がスパイラルで関わったものとしては「道後オンセナート2014」もその典型といえるでしょう。道後では減少傾向が続いていた宿泊観光客数がこの芸術祭を契機として回復傾向となり、女子旅の聖地として取り上げられるなど、客層にも大きな変化が見られるようになっています。

もうひとつ大きな傾向としてあるのが「都市再生型」。いわゆる「まちづくり」とアートを結びつける各種の取り組みです。横浜市の創造界隈形成事業はまさにまちづくり型の創造都市を志向していますし、六本木ヒルズにおいて森美術館が(それも不動産価値の最も高い高層ビルの最上階に!!)設立されたことなどを契機として、不動産ディベロッパーによる都市開発事業においてもアートが積極的に取り入れられる傾向が続いています。中心市街地の再生や商店街の再生、また都市開発における不動産価値の向上などを目的としたアートプロジェクトは、今度もおそらく増加傾向が続いていくと思います。

さらに近年は、「社会課題型」と言えるプロジェクトが大きな注目を集め始めています。公共空間の活用、障害者の社会包摂などを中心に始まり、広がりつつあるこの分野のアートプロジェクトは、むしろ今後、創造都市の中心的価値(位置)を占めるのではないかと思います。

 

アートは万能か

こうしてみると、アートが地域に及ぼすポジティブな効果が極めて多岐にわたり、アートの活動領域がどんどん拡大しているように見えると思います。それは一定程度、事実だと思います。チャールズ・ランドリーは「もうアートしか残っていない」と言いましたが、創造都市というコンセプトは彼の予想をはるかに超え、多岐にわたる地域課題の解決、地域の振興に大きな効果をもたらしているといえるでしょう。

しかし同時に、筆者はアートと地域振興が過度に結びつくことによる弊害も現れはじめていると感じています。例えば「あいちトリエンナーレ」の検閲問題。たとえば「東京デザインウィーク」の事故。さらには模倣に頼る芸術祭の粗製乱造とそれによるアーティストの疲弊、集客数を重視する傾向の相反としての基礎研究軽視などの問題もあり、急速な拡大がもたらす負の側面が表面化しつつあるように思います。そしてさらに。新型コロナ感染症の発生と拡大。芸術文化領域においてもコロナ禍の影響は甚大ですが、筆者はこの苦境を突然変異的にもたらされた災害というより、もともとあった矛盾、歪みの顕在化と捉えるべきだと考えています。

次回からは、こうした歴史、現状認識を踏まえつつ、芸術文化の本質的価値とは何か、地域がアートに取り組むことの意義、そして創造都市を健全に発展させていくための方策などについて、さらに考察していきたいと思います。